国内〜世界各地におけるメディアアート(時々現代美術)のアレコレを、待望の第一子「坊や」の成長と共に追いかけます!
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ナレッジキャピタル・トライアル、一日目のプログラムに行ってきました。
オープンからクローズまで。さすがに疲れました。



企業ブースには最新技術が展示され、体験もできましたが、
ほとんどの技術がSIGGRAPH2009の会場にも似たものがあり、その全てがSIGGRAPH展示物より劣っていました。
これは、とりあえずマズいと思った。
アートなら優劣は無いと言えるけれど、技術にはあるもな。
開会式はとにかくテレビカメラとスーツだらけですごい賑わいでした。
開会式を終えると各企業のトップや、市政・府政の役員たちは一気に会場を後にしました。
予約席は片付けられて、重要人物達はアルスのプレゼンを聞かなかったかも知れない。
その他のアート関連のトークプログラムを聞かなかったかも知れない。
取材カメラはもう向けられていなかった。
この、“引き”具合。
『ナレッジキャピタル』の存在意義とその内部におけるメディアアートの位置づけについてもう一度考えた。
アートとテクノロジーにおいて、“ハイブリッドな制作”だけを目的とするなら、それはすでに何十年も前から続けられている。
今、わざわざ場を設定されたところで、むしろ可能性は狭小になるとも考えられる。
でも私は、設備が揃い、実際に顔を突き合わせての“場”が有効に働いているところも見て来たので、今回のナレッジキャピタル内に出来るメディアアートのイノベーション・センターにも、そういった効果はじゅうぶん現れると思う。
「問題解決型」の研究を促進するデザインと、「問題発掘型」の様相を投げかけるアートの二大柱が、ナレッジキャピタルには必要だという話もあった。
確かに、デザインセンターなのか、アートセンターなのか、ということはあえて決めない方が良い。
前回の日記に書いたことに反して、ハードから構想を立てる事を楽しむアーティストがいるのも事実だし、
プレゼンテーションが実に上手くて、作品よりもその口でどんどん発表の場を拡げていってる作家もいる。
どちらも全く間違いではない。作品自体もおもしろい。
でも、ビジネスと技術革新を基盤として考える人たちが、“プレゼンしない作家”をその場から弾き出すようなら、それはとても困るのである。
海外で展覧会をしたやなぎさんや森村さんが、向こうでは作家の説明責任が重いのに驚いたと言っていたけど、私は、全ての作家が自分の制作について完全に語れなくても良いと思う。
表現の中には、制作の理由を語る事で、鑑賞が単なる確認作業になってしまうものもある。
インタラクティブ要素を含んだ作品は特に。
ナレッジキャピタルの目的を達成するために「すぐに世の中の何かの技術と結びついて、役に立つもの」以外を全て排除すると決まるならそれでもいいけど、私はあんまり嬉しくないな、と思うです。
×× ×× ×× ××
成功例として挙げられているアルスエレクトロニカ・センターをそのまま真似すればいいとは、会場の誰も思っていないようだった。
確かに、リンツが得た多大な集客には様々な理由と時期と立地とが絡み合っていて、同じプロセスは二度と踏めるものではない。
じゃあ、どういう実施例が最適なのか、考えてみると。。。
京都にある、文化庁の支援を受けている現代芸術中心の某センターは、そこで展示スタッフをやったことのある私も感じたことだけど、運営が何となく“緩い”。
それなのに、いつもかなり贅沢なプログラムで、気がつけば一年に何回も訪れている。
良い立地と文化的な建物を持ったとても有用性の高い場所に、誰の企画でもすんなり受け入れる余剰があること、使ってもらうための場として機能する姿勢が、あのセンターの魅力であり中核を為す力なのかも知れない。
それにならって、ナレッジキャピタルも、あの一等地をある意味で無駄に使うということを同時に考えてみたらどうなるんだろう。
イノベーションなり環境配慮なり癒しなり、様々な形に変容した有用性で隙間無く満たしてしまうのではなく、誰もが自由に使える、一見すると生産性の無い場所を一区画確保出来たら、創造・制作の場としては一気に強くなるかもしれない。
私はナレッジキャピタルにメディアアートの“場”が出来たら、とにかくコンテンツを沢山投入しないといけないと思ってたし、自分がそれに関わることになったら相当な企画力と推進力が必要だと思ってた。
でも実際は、立ち入り・利用可能の余白があってこそ長く続くのかもしれない。
一見空っぽな場所に意味を付加させるアートマネジメントが多発している中で、わざわざ建物を建て、そこに空っぽな場所をあえて作るというのはちょっと変に思うけど、大阪のど真ん中には“誰かの場所”しか無いからな、、、公園案って結構良いのかも。
オープンからクローズまで。さすがに疲れました。
企業ブースには最新技術が展示され、体験もできましたが、
ほとんどの技術がSIGGRAPH2009の会場にも似たものがあり、その全てがSIGGRAPH展示物より劣っていました。
これは、とりあえずマズいと思った。
アートなら優劣は無いと言えるけれど、技術にはあるもな。
開会式はとにかくテレビカメラとスーツだらけですごい賑わいでした。
開会式を終えると各企業のトップや、市政・府政の役員たちは一気に会場を後にしました。
予約席は片付けられて、重要人物達はアルスのプレゼンを聞かなかったかも知れない。
その他のアート関連のトークプログラムを聞かなかったかも知れない。
取材カメラはもう向けられていなかった。
この、“引き”具合。
『ナレッジキャピタル』の存在意義とその内部におけるメディアアートの位置づけについてもう一度考えた。
アートとテクノロジーにおいて、“ハイブリッドな制作”だけを目的とするなら、それはすでに何十年も前から続けられている。
今、わざわざ場を設定されたところで、むしろ可能性は狭小になるとも考えられる。
でも私は、設備が揃い、実際に顔を突き合わせての“場”が有効に働いているところも見て来たので、今回のナレッジキャピタル内に出来るメディアアートのイノベーション・センターにも、そういった効果はじゅうぶん現れると思う。
「問題解決型」の研究を促進するデザインと、「問題発掘型」の様相を投げかけるアートの二大柱が、ナレッジキャピタルには必要だという話もあった。
確かに、デザインセンターなのか、アートセンターなのか、ということはあえて決めない方が良い。
前回の日記に書いたことに反して、ハードから構想を立てる事を楽しむアーティストがいるのも事実だし、
プレゼンテーションが実に上手くて、作品よりもその口でどんどん発表の場を拡げていってる作家もいる。
どちらも全く間違いではない。作品自体もおもしろい。
でも、ビジネスと技術革新を基盤として考える人たちが、“プレゼンしない作家”をその場から弾き出すようなら、それはとても困るのである。
海外で展覧会をしたやなぎさんや森村さんが、向こうでは作家の説明責任が重いのに驚いたと言っていたけど、私は、全ての作家が自分の制作について完全に語れなくても良いと思う。
表現の中には、制作の理由を語る事で、鑑賞が単なる確認作業になってしまうものもある。
インタラクティブ要素を含んだ作品は特に。
ナレッジキャピタルの目的を達成するために「すぐに世の中の何かの技術と結びついて、役に立つもの」以外を全て排除すると決まるならそれでもいいけど、私はあんまり嬉しくないな、と思うです。
×× ×× ×× ××
成功例として挙げられているアルスエレクトロニカ・センターをそのまま真似すればいいとは、会場の誰も思っていないようだった。
確かに、リンツが得た多大な集客には様々な理由と時期と立地とが絡み合っていて、同じプロセスは二度と踏めるものではない。
じゃあ、どういう実施例が最適なのか、考えてみると。。。
京都にある、文化庁の支援を受けている現代芸術中心の某センターは、そこで展示スタッフをやったことのある私も感じたことだけど、運営が何となく“緩い”。
それなのに、いつもかなり贅沢なプログラムで、気がつけば一年に何回も訪れている。
良い立地と文化的な建物を持ったとても有用性の高い場所に、誰の企画でもすんなり受け入れる余剰があること、使ってもらうための場として機能する姿勢が、あのセンターの魅力であり中核を為す力なのかも知れない。
それにならって、ナレッジキャピタルも、あの一等地をある意味で無駄に使うということを同時に考えてみたらどうなるんだろう。
イノベーションなり環境配慮なり癒しなり、様々な形に変容した有用性で隙間無く満たしてしまうのではなく、誰もが自由に使える、一見すると生産性の無い場所を一区画確保出来たら、創造・制作の場としては一気に強くなるかもしれない。
私はナレッジキャピタルにメディアアートの“場”が出来たら、とにかくコンテンツを沢山投入しないといけないと思ってたし、自分がそれに関わることになったら相当な企画力と推進力が必要だと思ってた。
でも実際は、立ち入り・利用可能の余白があってこそ長く続くのかもしれない。
一見空っぽな場所に意味を付加させるアートマネジメントが多発している中で、わざわざ建物を建て、そこに空っぽな場所をあえて作るというのはちょっと変に思うけど、大阪のど真ん中には“誰かの場所”しか無いからな、、、公園案って結構良いのかも。
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プロフィール
HN:
M.Mayuko
性別:
女性
趣味:
撮影、聴講、展覧会ぶらぶら
自己紹介:
同志社女子大学/情報メディア学科にてメディアアートに出会い、
大阪大学/文学研究科文化動態論専攻アート・メディア論コース修了
メディアアートの鑑賞環境における誘導スタッフの重要性を唱え、
日本国内、ヨーロッパ、アジア等を視野に入れて調査をしてきました。
実践として、メディアアートの作品解説&体験誘導のスタッフ育成・監督を
下記のような展覧会で担当しています。
「生存のエシックス」@京都国立近代美術館
「ナレッジトライアル2011/アルスエレクトロニカブース」@堂島リバーフォーラム
「アルスエレクトロニカ大阪展/Poetry of Motion」@ブリーゼブリーゼ
また、メディアアートユニット「sz」の活動においても同様の仕事をしています。
2011年〜大阪大学CSCDの特任研究員を経て、
現在、2012年夏に生まれた第一子のお世話を始めたところです。
“メディアアート”という語の危うさ、移ろいやすさを念頭に置きながら、
相変わらず各国のメディアアート事情を追いかけながら、
子供の成長に目を見張りながら、
お風呂で毎日ドイツ語を頑張っています。
大阪大学/文学研究科文化動態論専攻アート・メディア論コース修了
メディアアートの鑑賞環境における誘導スタッフの重要性を唱え、
日本国内、ヨーロッパ、アジア等を視野に入れて調査をしてきました。
実践として、メディアアートの作品解説&体験誘導のスタッフ育成・監督を
下記のような展覧会で担当しています。
「生存のエシックス」@京都国立近代美術館
「ナレッジトライアル2011/アルスエレクトロニカブース」@堂島リバーフォーラム
「アルスエレクトロニカ大阪展/Poetry of Motion」@ブリーゼブリーゼ
また、メディアアートユニット「sz」の活動においても同様の仕事をしています。
2011年〜大阪大学CSCDの特任研究員を経て、
現在、2012年夏に生まれた第一子のお世話を始めたところです。
“メディアアート”という語の危うさ、移ろいやすさを念頭に置きながら、
相変わらず各国のメディアアート事情を追いかけながら、
子供の成長に目を見張りながら、
お風呂で毎日ドイツ語を頑張っています。